花吹優奈

アセンションの課題と向き合うこと【ユナ①】


皆様こんにちは。セラピー・占い専門サロン癒花の花吹優奈です🌸

皆さん、体調は崩していませんか?


昨日このツイートをしましたが、体調が悪い人はアセンションが関係しているかもしれません。


私も

ここ数日は、テレビを見ていて3次元に引っ張られたり、愛の世界への学びが多く、ぐったりしていました。笑

次元上昇したい人にとっては、実はこのぐったり感は上昇の影響なので、喜ばしいこと。そう思って受け止めることが大切です。そしてしっかりご自愛してください。(じゃないと耐えられないですからね 笑)


この一週間では、

愛や憎しみやいろんな感情が影響を受けやすいです。まずはしっかりと休息をとり、そしてゆっくりと自分と向き合ってみましょう。

皆さんも自分自身と向き合い、このアセンションの影響を大いに利用してみてくださいね。💗


私には、

「過去についてさらに深く受け止めて完全に浄化すること」と課題が来ていました。なので自分のストーリーについて深く考えていましたよ☺️

そうすると、不思議なことに、最近は対面セッションなどで同じ境遇のお客様と引き付け合うことも多かったのです。

下記は、私の個人的なお話ですが、

向き合い方の道しるべに、一人ではないという支えになったら幸いです。

(長文なので全部読む必要はありません。笑)このくらい全部の感情を書くのか〜とか、ダラダラ書いていいんだ〜と参考になれば幸いです💗

弱い魂で生まれたことに意味があった

私は

生まれた時からとても弱い魂でした。

ええ〜いきなり、初めから暗い、とか思わないで下さいね。この暗さ、20年続きます。笑


幼い時の記憶は、幼稚園の運動会で号泣していたところから始まります。人の前に出るだけで耐えられませんでした。


小学校では発言ができなかった。手を挙げることができなかった。間違うことを極度に恐れていて手を上げて間違えた後に号泣していた。

男の子に「先生ユナちゃん泣いてるよ!」って大きな声で言われた。男の子のそれは優しさだった。先生は泣いている理由をわかっていてそっとしてくれた。

注目されるだけで泣いていた。音楽の時間は震えて歌も歌えなかった。


人の前に立つと赤面症になって「りんごみたい、トマトみたい」と言われた。なんでそんなに赤いのか心配された。ふざけてくれる男子に感謝した。自分でもわからなかったから。笑

小さい頃から私は恥ずかしさをコントロールできなかった。


小学校1年生の時に、友達がプーさんの塗り絵を持っていた。1枚塗っても良いかな?と聞いたら快く貸してくれた。

だけど、友達に返したら友達は泣き出してしまった。(相当汚かったのでしょう笑)友達は私の書いた部分をビリビリに破いて机の周りに捨てた。

私とその子は2人で泣いた。みんなが寄ってきて心配してくれた。その子は「せっかく買ってもらったのに」と言っていたような気がする。

私はそれを境に泣くのをやめた。

小学校の卒業文集は「小1の時に私は泣くのをやめた」だった。

人を悲しませるなら自分はもう泣かない

我ながら、(塗り絵ごときで)すごい。笑


こんなくらいに私はとても弱い魂でもあり、私の魂は私の存在によって人が悲しむことを極度に恐れていた。

私が何か褒められて友達が悲しむのが嫌だった。だから自分は力を出さないようにした。自分が注目されてることで嫉妬心を作ってしまうなら注目されないように努力した。


勉強は好きで、運動は好きで上手だった。

先生に褒められるのが好きだったから。だけど目立たないように努力した。謙遜して、調和を保った。


自分を殺してでも、誰かの幸せをいつでも優先してきた。

そうすることを私は望んでいた。


いつでも友達のことは大好きだった。友達には、みんな良い気持ちでいて欲しかった。


小学校の時に悪口を言われても笑顔でごまかした。私のせいでごめんねって謝った。私のせいであなたの心が黒くなるんだ、ごめんね、という気持ちがとてつもなく大きかった。

今となっては

そんな思考は、「生まれた時から親を苦しめた自分」を感じていたからだったと思う。

親の良い子になりたくて努力していた

私は4人兄弟の長女。母親は専業主婦だった。父親は仕事人間だった。

いきなりだけど
家庭では親に暴言や、ガラスが割れたり、家出をされたり、物が投げられたりが普通だった。兄弟4人で何度泣いて「行かないで」と懇願しただろう。

自分が頑張って良い子になったら現状がよくなるかなと思った。


私は優秀になるよう努力した。

成績、部活、大会でも賞をとった。習字、ピアノ、自由研究、弁論、いろんな賞状ももらった。他の親や先生には褒められた。

だけど、親には1度も褒められなかった。

私は親に褒められたくて、頑張り続けた。良い子だねと言われたかった。だけどいまだに1度も褒められたことはない。

(かわいそう、笑)

他の誰に褒められても嬉しくなかった。私はいつでも親に褒められるために頑張り続けて来た。

私は承認欲求が人より広いことを自覚しているんだけど、幼少期のこれが、承認欲求が広い理由。☺️

感情を失っていく過程


家のルールは厳しく、締め出されることが当たり前。冬でも夜遅くても家に入れない。心配そうな人の目に、恥ずかしさを感じた。

私が悪いからだと思った。

どんな理由でも自分が悪くなくても門限は破れない。「変な家」と思われたくなくて外では明るく振る舞った。ベランダに閉じ込められた。何回謝っても許してはもらえなかった。


「ごめんなさい。」のルールは


「今回は、こういうことをして間違えてしまいました。ルールなのに間違ってしまって、その原因は私のこういうところにありました。何回もそうなるのは私のこういう部分が原因です。今後はこのようなことがないようにこういう対策をとります。もしも破った時にはこうするので許してください。お詫びに今回はこういう罰を受けます。」

これくらい言うのが小学生で当たり前になった。これを言っても許してもらえなくなった。

ルールを守らないと外出できなかった。

小学1年生の時、学校の友達と遊ぶ約束をした。急いで親に言われたことをやって待ち合わせに向かったけど、間に合わなかった。みんなは私を置いて遊びに行ってた。私が遅かったから仕方がなかった。親に言われたことを早くできなかったから仕方なかった。

どうにもできない気持ちでとぼとぼ帰った。

「人は人んち」「うちはうちのルール」「どんなに嫌なら出て行けば良い」「あんたがやらないから悪い」「世界の貧困の子供と比べたら贅沢」「贅沢なことを感謝しなさい」「もっと感謝しなさい」「あんたは屁理屈ばっかり言う」


日常はこの繰り返し。

家庭では感情がどんどんなくなっていった。私が喋ると、ろくなことが起きなかった。

友達の幸せそうな家族が羨ましかった。

強がりで自分を保つしか方法がないこともある、ということを学んだ


父親は単身赴任で家にいなくなった。それから母の状態がひどくなった。10歳の時だ。

「泣いて解決しようと思ってんだろ」「泣いても許さない」「隠れるな」「歯向かって見ろよ」「誠意を見せろ」


兄弟もみんな卑屈になって感情を我慢するようになっていった。みんな部屋で隠れて泣くようになった。

頑固なことしか言わなくなった。

傷つけ合うようになった。

一人一人が強くなるしか耐えられなかった。

小学生の頃から、怪我をするのが好きだった。心配されたかったし大事にされたかった。常に「事故になって半身不随にならないかな」と思っていた。「事故で死んだらお葬式で泣いてくれるかな」と思っていた。

時々、母の死を想像して泣いた。「やっぱり好きなんだな」と実感し、離れられなかった。

私の支えがあった

芝生の庭に寝転んで、

自然を感じて無になることが好きだった。陽の光や、自然の匂いに優しさを感じた。とても好きな時間だった。

花を見て綺麗に思ったり、風を感じたり

庭の中心に古い古民家があって、

その縁側に座ってただ広い田んぼを見るのも好きだった。

家で泣けない、泣いた姿を見せられない時はそこで泣くことができた。


みんな、心の底では家族のことは好きだった。

時々の幸せも好きだった。

幸せな時間もあった。

(今となっては幸せな時間も、本当に十分にあったと理解できています☺️)

だけど私には当時、辛いことが多くて、どんな気持ちも押し殺すしかできなかった。


その世界を作り上げていたのは当時の私自身。当時の自分にはそれが精一杯だった

もっと幸せな思い出も今は思い出すことができるけど長い間、その幻想に支配されていた。

外の世界が救いだった。人が好き。

当時の私にとって家族以外の世界は特に極楽だった。

家では自分が叱られることにビクビクしながら「なんであんたが泣くの」と言われた。どうして傷つけ合うことを望むのか、平和を望むことはおかしいのだろうか?小学生で考えた。


母親は育児に疲れていて「消えればいい」「私は召使いじゃない」というワードをよく言っていた。


私は外では、健気に振る舞った。
私のせいで誰かが苦しむのはもう勘弁だった。小さいメモ帳に家での誰にも言えない気持ちを書きなぐっていた。

結局、お母さんのことが好きだから

びっしりと書かれたそのノートは見られないようにそっと捨てた。

小学生の頃から寮制の学校に行きたいと考えていた。

外の世界は私にとってすごく大切な空間だったから、汚したくなかった。

一人では乗り越えられなかった

ある時、「自分には感情がなくなってしまったんだ」と実感した。感動することも泣くことも笑うことも我慢しすぎて消えてしまったことを実感した。


みんなが泣いてた場面も泣けなかった。


友達のことは大好きだったけど人に合わせてしかいなかった。

感情を合わせようとしても涙というものはなかなか出てこなかった。いつも我慢してるから、泣けなくなったんだと思った。まずいな、と思いながら、友達に支えられてどうにかごまかして生きていた。

「なんで泣かないの」と言われて「私涙出ないんだよね」なんて、その都度ごまかしていたし、焦っていた。


ごまかしながらも、学校では友達にすごく恵まれて楽しかった。


家庭にいるのが辛かったから、ただ少し優しくされることが私をすごく救ってくれたのだと思う。

(今となってはとんでもない意地悪もあったかもしれないけど記憶にない 笑)


どんな意地悪をされたり嫉妬されたりされても自覚できなかったし、自覚する前に自分が改善しようと思った。好き嫌いはなくて、全員と分かり合えるようにするのが当たり前だった。

私はそこを失ったらもう終わりということがわかっていたんでしょうね。笑


私は家庭が好きであり苦しくもあって。


高校を卒業するまでは学校と友達に救われた。
私はあの子達のおかげで乗り切ることができた。本当に感謝している。

心配してくれたりふざけて笑う毎日が根本は解決していないのだけれど当時の私をすごく救ってくれた。

だから私は人が好きだし、女友達も好き。

中学は7人。高校は9人のグループですごく仲が良かった。大学では3人。その子達とは付き合いが続いている。

18年間、男の子と一言も話せなかったので仲が良かったのは女の子とだけ)


私は友達のおかげで自分を保てた。私一人ではそうはなれなかった。

学校がすごく好きだった。
人にすごく救われた。

だから高校3年生の時に

私は大学に進学して教師になろうと決めた

ならなかったけどね♪笑

ユナ①まとめ

生まれたところから、18歳までは、

マズイと思いながらも、根本は何も変えられず、どうにか自分を保って生きてきた私。面白いことに、高校生の時には「悩みがなくて幸せだなあ〜」なんて思い込んで過ごしていました。笑

辛過ぎて現実を見なかったんですね。そういう時期には支えてくれる人が必要で、私はただ明るく優しい友人が支えだった。

だから誰もいないという人は、癒花のスタッフを頼ってくださいね🌸

今となって、こうやって、つらつら書ける理由は、この後に続く18歳から数年かけて、おっきい課題がわんさかと降りかかり、全てを受け入れるしかなくなったから。

自分と向き合い、アダルトチルドレンと気づき、親に絶縁を申し込み、将来の夢を諦めて、過食症になり、などなど。笑

それを乗り越えたからこれが書けるこの文章です。(今は親との関係は修復できていますよ♪)

そして、こんな魂の課題を乗り越えた私ができること、が今後の仕事でやっていくべき役割(仕事)だと思っています。愛ベースで、その世界を知りたい人を導いていくこと

幼少期のおかげで早いうちから、

自分の中で解決するスキルがつき、哲学的なことも多く考えてきました。

また、人に対しての感受性(潜在意識がわかるなど)も磨かれ、どんな人も受け入れる、諦めない、嫌わない。そんなベースで今生きていることを実感します。

長くなるので、本日はここまで。この続きはまた何かと一緒に更新します🌸ここまで読んでいただいたことに感謝します。

今回これを載せたのは、

セッションでたくさんの人のこれまでのことや思いを聞かせてもらったことが大きいです。お話をしていただいた方々、ありがとうございました

皆様が自分と向き合うきっかけに、傷を癒すきっかけになりますように☺️

💎✨セラピー・占い専門サロン癒花✨💎

水紀華と,30倍の倍率から選ばれた弟子たちによる新しいスタイルの相談サロン。それぞれの個性を生かしたセッションで救われる依頼者続出中!

次回は7/24 19時 好きなことで仕事ってできる?ユナ、ようこ

癒花スタッフ予約受付中

💗結婚、恋愛相談 温かさが溢れる💗日向ゆう

💗ビジネス女性起業、幼少期に強い💗滝本ようこ

💗現役理学療法士 愛されマインド💗青木ラン

💗癒しの店長 次元上昇のお手伝い💗花吹優奈

💗人生を華やかにする 高級レッスン💗弦ノ江莉々

💗癒しの妖精 綺麗な世界観 芯のある💗星奈百合羽

💗スピリチュアル 神社仏閣先祖の繋がり💗蒼依千明

💗 心理学専門 生きやすくなる思考💗本宮あゆ

予約はこちらから♪